伊東裕司先生と山本淳一先生の最終講義にかこつけて自分語りをする

先週の土曜日、慶應文学部心理の伊東裕司先生と山本淳一先生の最終講義があった。ぼくはお二人から直接指導を受けたわけじゃないが、学部の頃から講義を受けていた。せっかくの機会なので、勝手に両先生にまつわる思い出語りをしようと思う。

 

伊東先生は認知心理学者で、専門は目撃証言場面をはじめとした、法場面における応用的な記憶の心理学である。伊東先生から見たら、学部のぼくは、伊東先生からしたら特に特筆することのある学生ではなかったと思う。しょっちゅう講義中に寝る不真面目な学生だっただけだ。そのときはごめんなさいと、ここで謝っておく。

 

ぼくの同期には加藤くんというめちゃくちゃ優秀な男がいて、伊東先生のところのゼミ生だった。腹が立つことに、顔もよかった。確か、彼の卒論は匂いの記憶の正確性に対する言語化の影響だったと思う。プルーストのマドレーヌは、元のマドレーヌより甘く記憶されている。雑に言えばそんな感じの話。まあ、ぼくはプルースト最初の100pくらいで挫折してるんだけど。こういう最もデキるタイプの学生は、文学部では大学院には進まないもので、彼は大層有名な企業に就職していったのだった。伊東先生が、彼の卒論のデータで学会発表をしていたのも覚えている。多分、いつしかの日本心理学会だったような気がする。

 

ぼくが博士課程に入った後は、期せずして伊東先生の研究室の大学院生であった島根くんと共同研究する機会があった。きっかけは彼の学振の申請書をぼくが添削したことにあった。申請書の内容は彼の研究で (まだ?) やってないことなので書けないが、ぼくが提案した話としては顔の形態的な類似性を測って、虚記憶を引き起こそうという内容だった。虚記憶ってのは、ようは文字通り、偽の記憶である。この手の研究はたいてい単語が使われることが多い。例えば、「ニンジン」「キャベツ」「カボチャ」という単語を実験参加者さんに覚えてもらったら、「トマト」も覚えさせられたと後に報告しやすくなる。そんな感じの実験だ。こういう実験は、認知心理学ではDRMパラダイムと言ったりする。この場合は、どの単語も野菜ってカテゴリに属するという意味で、互いに類似している。だから、うっかりトマトも覚えさせられたと記憶の誤りを犯しやすいってわけだ。

 

ただ、目撃証言をはじめとした現実場面を考えれば、本当は顔の覚え違いを引き起こしたい。しかし、顔ってのはいろんな特徴を持つ多次元的な刺激だ。なので、どうやって顔同士が似ているかを測るのが難しい。そういう問題には、ぼくが以前使ったことのある「形態幾何学的計測」という手法が使える。これはもともと形態学で使われる手法で、ぼくは修士一年の頃にカラスのクチバシの種間比較で使ったことがあった。独学で覚えたわけではなくて、当時慶應理工学部にいた荻原直道先生 (今は東大) のところに教えを乞いにいっていた。まあ、せっかく覚えた技術なので心理学的な問題にも適用したくてうずうずしてたわけだ。そこで島根くんと、顔刺激の形態学的類似性を測って、似た顔の覚え間違い引き起こす記憶実験をやろうという運びになった。島根くんは伊東先生のところの大学院生なので、伊東先生との共同研究である!似たような顔が覚え間違えやすいというのは、言ってしまえば当たり前のことなのだが、そういう関心の研究は、二つの顔を混ぜ合わせる「モーフィング」という技術を使ったものしかなかった。モーフィング顔はあくまで記憶させた顔と他の顔を混合させたものである。従って、本当に別人の顔と思い出し間違いを実験室で作っているわけではない。ぼくらの研究はこの点を解決しようとしたってことになる。なんやかんやでこの研究は形になったし、島根くんは日心でポスター賞を取ったりとわりとウケたようだ。

 

他に顕著な伊東先生との絡みといえば、博士入試のときと博論研究計画発表のとき同じ質問を食らったことである。このことは別のブログで書いたから、繰り返さない。

 

 

山本先生とは、深い絡みがあったわけではないが、山本先生の研究室出身の松田さんには今も昔もお世話になっている。例えば、ぼくが最も貧乏だった博士に進学する直前の頃だったか、焼肉を奢ってもらった恩がある。修士の終わりからDCの給料が入る5月までというのは、とにかく金のない時期だった。どれくらい金がなかったかというと、家賃を3ヶ月滞納していて、最終的には携帯とガスと電気が止まっていた。一宿一飯の恩というのはでかいもので、ぼくが松田さんに頭が上がる日はこないだろう。おっと、これは山本先生というよりは松田さんとの思い出だな・・・。

 

山本先生の講義を受けたのは、学部の頃だけだった。院の講義は発達支援の実習とゼミしか持っていなかったはず。少なくとも、ぼくがいた頃はそうだった。山本先生が持っていたのは「発達心理学」のコマだった。実際の内容は、半分が発達心理学ピアジェやらヴィゴツキーやらの話が出てくるが、もう半分は応用行動分析学の話である。ぼくは応用行動分析学はなんもわからない人間なんだが、一応、行動分析学自体は学部2年から博士の3年までの8年間、ずっと坂上貴之先生のもとで学ぶ機会があった。そういうわけで行動分析学の知見には、大幅な信頼を寄せている。しかし、ぼくが関心があるのはあくまで実験室場面の研究である。殊に現実場面での威力ということに関しては、今でも学部2年の発達心理学で習ったこと以上の知識はほとんどないんだな、これが・・・。

 

これもまた山本先生本人との関わりではないのだが、学部3年生の頃から修士課程くらいまでの間、行動分析学の勉強会に参加していたこともあった。この勉強会は、たまたまオーガナイザーの藤巻さんが実験棟を出るタイミングでたまたま出くわして、そのまま捕まって言われるがままに参加することになったんだが、なんだかんだ4年くらい出続けた。内容としては最初は『行動分析学研究』を第一巻から総説やコメンタリを除いた論文をほぼ全て、1つずつ読んで、みんなでけちょんけちょんにしてやろうというものだった。それが終わったら、いくつか本をピックアップして、何人かで分担して輪読をした。例えばぼくは "Behavior Theory and Philosophy" を担当したと思う。この研究会でも当時山本先生の研究室の院生だった石塚さんや、よその大学の応用行動分析学の人たちが何人か参加していて、親しくさせてもらったものだった。

 

いいかげん山本先生にまつわる話をすると、山本先生は修論・博論の副査だった。ぼくは大学院生の頃はずっとカラスの運動の研究をしていた。山本先生は応用行動分析学で、顕著な業績は自閉症児への介入研究だ。だから一見すると、「なんで山本先生?」と思われるかもしれない。だが、山本先生はもともと霊長類の研究にも携わっていたし、動作への介入にも興味も持たれているようだ。最終講義でも、そのあたりの話に触れられていた。定年後もバリバリ続けるつもりのようで、「運動心理学」とご本人は言っていた。山本先生は、研究をスケールさせるのがとてもうまい。もっとそういう面を早くから知っておけばよかった。

 

とにかく、そういう来歴と現在があるのが山本先生というわけなので、実はぼくの修論・博論の審査にはピッタリな方だった。博士当時はあまりそういう経緯を知らなかった。なので審査の際に山本先生が深く、鋭いコメントをするものだから内心びっくり・びくびくしたものだった。なんともまあ失礼な話なんだが、実際そうだったんだから仕方ない。