松島俊也先生の最終講義にかけつけて自分語りをする

3/26に松島俊也先生の最終講義があった。松島先生は、北大理学部の教員で、ヒヨコの意思決定や刷り込みの神経生理・行動神経科学を研究されていた方だ。ぼくとの関係としては、ぼくの大学院の指導教員である伊澤栄一さんの指導教員である。つまり、学問的にはぼくの祖父に当たる人だ。せっかくなので、松島先生の退官にかこつけてあれこれ思い出語りをしようと思う。

 

最終講義では、伊澤先生も記念講演で登壇していた。他には、最初期の弟子である矢先 (杉山) 先生、伊澤先生の兄弟子にあたる柳原先生も講演していた。

 

伊澤先生が講演中に紹介した松島先生とのエピソードの1つに、学位取得後、ポスドクとして東京に行く伊澤先生に選別代わりにソニーのハンディカムを渡されたというのがあった。ちなみに伊澤先生は、ぼくに特に現物支給の選別はくれなかったが、麻布十番で美味しいご飯を奢ってくれた。それはどうでもいいとして、件のハンディカムで伊澤先生は、ポスドク時代カラスの順位構造を調べた研究をしたらしい。当時カラスの行動研究、特に飼育下の実験室における研究はそれほど進んでいなかったので、手探りの中の研究だ。伊澤先生はその10年後、渡辺茂先生の後任で慶應にそのまま職を持つことになり、そのハンディカムはぼくの手に渡ることになった。修士1年生のときの話だ。

 

流れとしては、修士の本当に一番初めのときのことで、伊澤先生がハンディカム1つをぼくに渡してこう言ったのだった。

 

「なんでもいい、君が面白いと思うものを撮ってきなさい」

 

 

ぼくが修士最初の学期、受けた指導はこれだけだった。ぼくは大学院に入るとき、動物の道具使用に夢中だった。だが、慶應で飼育しているハシブトガラスに道具使用を訓練するという研究は、既にぼくの先輩の金井さんが修論でやっていた。二番煎じの研究をやっても仕方ないし、ハシブトガラスの道具使用訓練はとても長い時間がかかるわりに、カレドニアガラスのような洗練された道具使用を見せてくれるわけでもない。そこでぼくは戦略を変えた。道具使用そのものに攻めるというより、道具使用のビルディング・ブロックが何かを考えよう、と。パッと思いつくのは、身体の視覚的な制御である。え?盲人の杖は?とかそういうのも重要なんだが、一旦置いておいて、日常的な道具使用が視覚的ガイダンスに支えられているのは、それほど不思議なことではないだろう。そこで、カラスでも身体運動における視覚の役割を、もっと詳細に調べてやろうと考えたのだ。

 

ここまでは椅子に座って、机の上で決まった話である。本当に動物の行動を研究するなら、実際の動物の行動を見なくてはいけない。目の前のカラスの行動から「調べてほしそうな行動」というのを見つけないと、研究は始まらない。このことは、伊澤先生や柳原先生が松島先生から教わったことだと記念講演で再三述べていたことだが、そんな松島先生の精神が伊澤先生の指導には色濃く反映されていたようだ、と今ならわかる。

 

そこでぼくが何をしたかというと「ひたすら隙間に挟まった取りづらい餌を取らせる」というのをカラスにやってもらって、その様子をカメラに収めて日長じっくりと眺めるということだ。具体的には、アクリル板をネジで止めて、ギリギリクチバシを差し込めるような隙間を作ってそこにチーズの欠片を入れる。カラスはチーズが好きなので、それをとって食べようとしてくれるというわけだ。実験というにはあまりにお粗末で、素朴なものだった。そこでぼくが何を「発見」し、伊澤先生に報告したかというと、

 

伊澤先生、カラスって、餌をついばむとき、まずは両目で見るんですよ!

 

というものだった。「だからなんなんだ」と突っぱねなかった伊澤先生もすごいが、そんな些細なことに引っ掛かりを覚えたぼくも偉い。と、自画自賛しておく。馬鹿げた話に見えて、そこから「従来、この手の運動についてよく研究されているハトではどうなっているのか?」「鳥における両眼視の機能とは?」「網膜の細胞分布は?」とさまざまな疑問が湧いて、先行研究を漁って、最終的には博士の間の一連の研究に繋がったのだった。

 

まあ、とはいえ、なんとも悠長なことだろうと思うし、当時「こんな調子でいいのか?」という不安がなかったわけではない。そんなぼくに気づいてか気づかずか、伊澤先生は「こういうのは、博士にいくとやりづらくなるから、今のうちに動物をたくさん見ておくんや」と諭したのだった。結果的に、この時期はぼくにとって財産になったと思う。でも、初めての修士院生、しかも博士進学志望の学生にそんな指導を施すのはすごく勇気が必要だろうなあと思う。

 

以上が、松島先生から伊澤先生に伝わった1つのハンディカムの辿ったストーリーだ。それはそれで麗しい師弟関係ってことでいいんだけど、伊澤さん、そんな由緒正しいハンディカムだったならそう言ってくれよな〜、と思わないでもない。だいぶ雑に扱ってしまったが、ハイスピードカメラで撮る必要のない場面では、博士が終わるまでずっと使い続けてたはずだ。今も慶應の動物棟に、無造作に転がっていると思う。

 

なんか、松島先生の話というよりはぼくと伊澤先生の思い出話になってしまった。ここから松島先生の話をしよう。

 

ぼくは松島先生から直接指導を受けたことは一度もないが、ぼくにとって重要なタイミングでいつも松島先生は登場する。最初に松島先生を見たのは、ぼくがまだ学部3年か4年の慶應の学内講演会で、確かCOEか何かのイベントだったと思う。ヒヨコの意思決定と対応法則についての研究発表をされていたはず。当時はなんてこともなかったが、行動分析学ってのは、最初から面白いと思える人は少数派で、学んでからゆっくりその重要性に気付かされるものだ。

 

直接面識を得たのは、ぼくが修士のとき初めて発表した国際学会、Internatinal Congress of Neuroethologyだった。主催が北海道大学で、松島先生がホストだった。伊澤先生の紹介で、ぼくの発表も聞いてくれた。当時は確か、カラスのリーチング運動がFitt's lawに乗るとか乗らないとか、そういうspeed-accuracy trade-offについて関心があった。松島先生も聞いてくれて、発表後にグッと親指を立ててくれたんだが、後から伊澤先生に「松島先生、あんなポーズしてたけど寝てたぞ・・・」とチクられ、がっくししたものだ。

 

余談だが、Neuroethology Congressは、ぼくが知る限り最も満足度の高い学会だ。みんな高いレベルのサイエンスをしつつ、とても楽しげで、知的な充実感がある。ポスター重視のスタイルも良い。かなり後に松島先生と酒の席で、たくさん裏話を聞かせてもらった。一番良い部屋をポスターに当てたり、ポスター会場のコーヒーとクッキーだけは切らすなと口うるさく言っていたとか。頑張りすぎて終わった後寝込んだりとか・・・。

 

松島先生はあちこちの学会で会うことのできる人で、博士の学会、多分動物心理学会だと思うんだが、その発表で松島先生には「動物の行動の最適性と、そこからの逸脱を測りなさい」と言われたのだった。ちなみに同様にことを、玉川大学鮫島和行先生にも指摘されたことがある。当時はうまく返せなくて、うまく返せなかった指摘は長く心に残るものだ。これは、松島先生がヒヨコを始めたときからの問題意識であることを最終講義で知ったんだが、今ではぼくにとっての問題にもなっている。ちゃんと扱いたくて、シミュレーションで頑張って測ってみたりもした。あと、SFCで一回講義をしたときの内容も、そういう研究上の悩みが反映されている。この講義では、対応法則が特定の強化子・反応率の間のフィードバック関数の下では強化率の最適化として捉えることができることを紹介したりした。関学小林穂波さんとの共同研究で、視覚探索を経路最適化問題として捉えた研究をやったりもした。こちらは、遠からず世に出ると思う。多分。

 

松島先生は自分でも学会発表を精力的にやる人だ。松島先生の語り口は、とても独特で、味がある。単に話し方が上手いんじゃない。学者としての迫力がある。ぼくはそれに憧れを持っているのだが、大学院のゼミで真似をしようとすると、伊澤先生が大変嫌そうな顔をして「松島先生の真似はやめてくれ・・・」と言われたものだ。でも、真似しているってわかるくらいには「松島話法」に敏感な伊澤先生のセンサーにはじわじわくるものがある。

 

松島先生の最終講義でお祝いの言葉を贈った一人のOnur Güntürkünはぼくがドイツでポスドクをしていたときの受け入れ研究者だ。なんというか、この最終講義はぼくにとってのアヴェンジャーズ的な集まりなんだな。松島先生はOnurによく "I love mathematics, but mathematics doesn't love me" と言っていたらしく、それは祝いの言葉でも言っていたし、ぼくとOnurが雑談するときも度々話題にあがったものだ。Onurは、ぼくの知っている人類の中で最もよくできた人間で、傑出した指導者なんだが、Onurの話はまた別の機会に、いつかしたい。

 

2018年に北大で開催された鳥類神経科学のワークショップを主催したのも松島先生とOnurで、お互いの研究紹介をする場では松島先生は「私は自分の研究で、いわば盆栽を作りたい」と言っていた。Onurが何かを指摘して、その言葉で返していたのだが、真意は、今でもわからない。だが、松島先生がSten Grillnerさんの下で「T型フォードの設計から学ぶように研究せよ」という精神を教わった、という逸話を最終講義を聞いて、少しわかった気がする。

 

そういえば、同じ姿勢を、元霊長類研究所の友永先生からも教わったものだ。いつしか、心理学ワールドのインタビュー記事作成のために二人で会話をする機会があった。東京大学駒場キャンパスのイタリアン・トマトだったと思う。そこで「研究の出発点にはいつも自分のバックグラウンドがあるけど、研究対象の全てをまるっと受け入れるような愛が必要だと思う」という旨のことを言っていたのが心に残っている。

 

かなり雑駁となってしまった。この辺で終わりにする。総合すると、ぼくはサイエンスのやり方は伊澤先生に学んで、サイエンティストとしての姿勢では松島先生を追っていて、指導者としてのあり方をOnurに見て、今がある。松島先生の最終講義を聞いて、改めてそう感じた次第だ。