Foxallの意図的行動主義って何なんだ?

意図的行動主義 (Intentional Behaviorism) というのはGordon Foxallさんという研究者が提唱している行動主義で、ポストスキナー行動主義の1つである。Foxallさんは消費者行動の研究者のようで、意図的行動主義の主な適用対象もそこにある。

 

この記事では、意図的行動主義が大筋何を言おうとしているのか、解説を試みる。全ての引用はFoxall (2021) から。Foxallさんは他にもいろんな論文も書いているし、意図的行動主義で一冊の本も出版している。が、正直様々な点で同意できないし、ぼくには行動主義として致命的な点があまりにも多いように見える。なので、意図的行動主義の最新版解説であるFoxall (2021) 以外を読む気力もなかった。言っていることにノれないので、あまり詳細に解説する気も起きない。この記事も簡潔なものになるだろう。

 

のっけからネガティブなことばかり言ってしまった。とりあえず書誌情報はこちら。

Foxall, G. R. (2021). Intentional behaviorism. In Contemporary Behaviorisms in Debate (pp. 151-189). Springer, Cham.

 

解説を始めていこう。まず、意図的行動主義が対象にしたいのは、消費者の「行為」であり、「行動」とは区別されるそうだ。行為というのは

 

"Action, then, is activity for which we are unable to establish antecedent stimuli that would account for it by making it amenable to prediction and control."

である。行動 (behavior) と対比させると、

 

"Behavior, by contrast, can be traced to a stimulus field. It is only when the discriminative stimuli that would account for an observed behavior cannot be located that the observed activity is designated action and a psychological explanation becomes necessary."

 

ということらしい。なんかこの時点でツッコミどころはあるんだが、好意的に見れば、Foxallさんはどんな刺激性制御が働いているのか明確ではない、現実世界の複雑な場面というのを想定しているんだなぁ、と思っておくことはできる。

 

そんなFoxallさんの意図的行動主義、行動主義を名乗っているけど、消費者の「意図性」基づいた説明として、認知という言葉がバンバン出てくる。じゃあ何がどう行動主義なのかと疑問が湧くし、ぼくも正直言って意図的行動主義は行動主義ではないと思っている。とはいえ、頭ごなしに否定して、「はい終わり」というのも面白みに欠ける。

Foxallさん自身は、

 

"Rather, our concern is with how the context within which consumer choice occurs, broadly speaking what behavioral psychology calls the contingencies of reinforcement and punishment, rewards, and sanctions, relates to the mental processes that guide or at least provide the explanation for consumers’ actions."

 

と述べている。ようは、Foxallさん自身は実際に心理主義を採用しているし、言ってしまえば、S-O-Rの図式を採用している。ただ、SとRの部分について行動分析学の知見を借りたい、という立場に見える。というのは、Foxallさんは随伴性の表象 (contingency representation) が行動を駆動していると考えていて、意図的な行為を行う人間の分析には重要な要素であると考えているためだ。

 

ここで突き放してしまいたい気持ちもあるが、もう少しFoxallさんの語っている内容に耳を傾けることにしよう。どうやら、意図的行動主義の研究には、3つの段階があるらしい。

 

第一には、理論的ミニマリズムで、これはいわゆる消費者行動分析的な説明であり、行動分析の語彙 (例えば、弁別刺激とか強化、弱化とか) を使った予測と制御である。Foxallさんは、徹底的行動主義が、この理論的ミニマリズムを具現化する上で「理想的な概念的基礎」であると見なしているようである。しかし、この分析には限界がくると、Foxallさんは考えている。殊、消費者行動であれば、個人ごとの強化履歴や随伴性の全てを観察できることは稀である。従って、純粋に行動分析的な説明を与えるには情報が不足してしまう。そんな方法論的な限界だけではなくて、消費者行動はときに行動主義的な説明に乗らない例が豊富に出てくるとFoxallさんは語る。

 

そこで、次に第二段階として、意図性に基づく解釈 (intentional interpretation) がくる。行動分析学的な説明が難しい事象に対し、心的用語による説明を求める。心的用語としてFoxallが挙げているのは、欲求、信念、感情、知覚なので、「意図」と銘打っているものの、用いる概念の範囲を比較的広めにとっている。第一段階の理論的なミニマリズム (消費者行動分析) は、この第二段階が必要な事象の洗い出しとして用いているわけだ。意図性に基づく解釈の結果、関心は「随伴性の表象」も含めた、心的過程へと移っていく。

 

"In the course of moving from the first stage of theoretical minimalism to the subsequent stages of psychological explana- tion, our subject matter ceases to be consumer behavior, a form of activity that is regulated by environmental stimuli, to consumer action which is conceived as resulting from the consumer’s mental processes, including the perceptual and conceptual representation of the contingencies of reinforcement and punishment identified in the initial stage."

 

最後に第三段階としてFoxallの挙げているのが、認知的解釈 (cognitive interpretation) である。第二段階で、行動にあてがわれた心的用語に対する情報処理プロセスを考えていくのが、認知的解釈である。

 

そんな段階を踏むのは、次のような意図があるらしい。

 

"This three-stage procedure is the means by which intentional behaviorism interrelates the context in which consumer choice occurs—the physical and social surroundings, including temporal and regulatory influences, that comprise the stimulus field and the pattern of reinforcing and punishing consequences of behavior that regulate its rate of occurrence—to the cognitive concepts required for the explanation of behavior for which any such context eludes observation. In the course of turning to psychological explanation, the principal concern for consumer psychology has become to ascertain how the contingencies of reinforcement and punishment are subjectively processed by consumers prior to their acting, i.e., the explanation of consumer choice by reference to consumers’ desires, beliefs, emotions, and perceptions."

 

長いので、DeepLの翻訳も載ってけておくと

 

"この3段階の手続きは、意図的行動主義が消費者選択の起こる文脈-刺激場を構成する時間的・規制的影響を含む物理的・社会的環境と、その発生率を規制する行動の強化・処罰結果のパターン-を、そうした文脈が観察できない行動の説明に必要な認知概念に相互関連付ける手段である。心理学的説明への転換の過程で、消費者心理学の主要な関心は、消費者が行動する前に、強化や罰の偶発性がどのように主観的に処理されるかを確かめること、すなわち、消費者の欲望、信念、感情、知覚を参照することによる消費者選択の説明になってきている。"

 

刺激場というのは、Foxallさんが好きな言葉で、実世界内の弁別刺激というのは「これ」と明示できるわけではなくて、高度に複雑な複合刺激になっているよ、という気持ちが込められている言葉だ。そんな刺激場である「文脈」というのは、明らかに行動の制御に関わっているように見えるが、ときにそれが欠如していても特定の行動ができる。そこで、文脈の存在している状況を行動分析的に捉え、それがない状況は心的用語でうまーくラップすることで、全体としては「意図のある行為」として理解していける、ということだろう。なんか狐につままれたような感じだな。ここでもあえて好意的に見たら、消費者行動という応用面の強い世界で、行動主義をそのまま持っていったら、それがどんなに有用でもボコボコにされるんだろう (そういう潮流については、Araiba, 2021)。そのあたりの学問的な実際の現場で、行動主義をいい塩梅に受け入れられる形しようとして、出現したのが意図的行動主義なんじゃないかと思う (その結果、実験家としては到底同意できない形態に変貌してしまっているが・・・)。