非行動分析学者だけど行動主義について知りたい人へのおすすめルート

 

表題のような人、存在するのか?というのはさておき、行動分析学が専門ではない俺が「行動主義」を学んだルートを紹介する。まあこういうのは、プロパーな人に聞いた方がいいんだろうけど、公開されてる情報が見つからないので俺のケースを書いておく。

 

Skinner (1989) が述べているように、行動主義とは行動の科学の哲学である。俺は非行動分析学者なんだけど、大学院の書類上の指導教員が行動分析学者だったこともあって、大学院ゼミには出席していた。そう考えると、学部2年から数えるとなんだかんだで8年も行動分析学と、それを支える哲学に触れてきたことになる。なんやかんやで触れてはいた。触れてはいたんだが、最近まではあくまで歴史的な展開として雰囲気だけ押さえていただけであった。

 

で、転機というほどドラスティックな変化があったわけではないんだが、去年の後半くらいから、神経科学に移動する前に行動科学について一度俯瞰的に見直しておきたいと思ったのがきっかけだ。というわけで、去年の12月くらいにこっそり学び直しをしたわけだ。そのときにこのブログを書いたんだけど、なんか気恥ずかしくなって公開するのをやめてしまっていた。だが、気が変わったのでちょっと修正して、公開する。

 

まず、行動主義と一口に言っても多様である。Watsonの行動主義に端を発し、Skinnerの同時代でもTolman、Guthrie、Hullなどがいる。これは教科書に載っているレベルの話で、いわゆる「新行動主義」ってやつだ。それぞれの立場について、佐藤方哉の『行動理論への招待』にSkinnerとの対比が説明されてある。俺はGuthrieについてはそれくらいしか知らない。なので、この本を勧めておく。ただ、某後輩氏にGuthrieが意外と現代的な目で見ると面白いから原文できちんと読めと言われているんだが、まあそれはおいおい・・・いつか・・・ね・・・(ああこれ、言っておいてやらないやつだ)。Hullは『行動の原理』『行動の本質』『行動の体系』が翻訳されているんだが、現代にHullianは存在しないことになっているので、表題の目的の人にとっては後回しだろう。

 

というわけで1つ目のおすすめは

-  佐藤方哉の『行動理論への招待』

ということになる。

 

上述の通り、行動主義にも色々あるんだが、ひとまず現代で行動主義といったらSkinnerだろう。もちろんWatsonが行動主義の祖なわけだが、そこから始めると多分途中で挫折してしまうと思われる。強い意志があるなら、Watsonの『行動主義の心理学』が邦訳で出ている。例えばあまりに有名な「私に一ダースの子どもを〜」の直後の文がなんなのかを知っておくと、極端に戯画化された行動主義批判を考えなしに受け入れないようになる予防にはなるかもしれない (確か「それが事実を超えていることを、私は認める」みたいな感じ)。また、英語なんだが "Behaviorism: Classic Studies" という本に、Skinner以前の主要な行動主義者の重要論文が再録されている。Karl Lashleyとか、Watsonに強い影響を受けて研究を行なっていて (かつ、反論もしていたりする)、行動神経科学の先駆けでもあるんだが、あまり顧みられないのでおすすめではある。

 

さて、Skinnerの「徹底的行動主義」を知りたければ、以下の文献が俺のおすすめだ。

 

- 丹野 (2019)『徹底的行動主義について』

-スキナー著作刊行会 『スキナー重要論文集 I・II』

- 佐藤 (1996)『認知科学行動分析学との対話は可能か』

- Skinner, B. F. (1974). "About Behaviorism"

 

特に丹野さんの論文は慶應大学の紀要なんだが、ウェブで公開されているので激しくおすすめだ。スキナー重要論文集で、非行動分析学者が読んで特にためになりそうなのは、「心理学的概念の操作的分析」「科学的事例における一事例史」「学習理論は必要か?」「私が認知心理学でない理由」あたりじゃないかと思う。「心理学的概念の操作的分析」は、Stevens-Boring型の操作主義批判なので、現代の認知心理学にも通じる批判だ。知っておいて損はない。逆に、この点についての認知の側からの再反論を読みたいんだが、今のところ見つけられてないので、誰か知っていれば教えてほしい。もちろん、丹野 (2019) が指摘するように、認知の枠組みから行動分析学からは思いつきにくい (解釈が不可能というわけではないものの) 多くの発見が現に報告されているわけなので、そのように研究者の新たな発想を促す点が有用なのはその通りなんだが。

 

「科学的事例における一事例史」は、「個人の科学 (science of individual)」の樹立を目指したSkinnerの試行錯誤を伺い知ることができて、単に楽しいだけじゃなくて、例えば昨今の再現性問題なんかを考える上でも役に立つんじゃないかと思う。

 

また、佐藤方哉の『認知科学行動分析学との対話は可能か』も、方法論的行動主義との対比の中で徹底的行動主義が語られているので、これもわかりやすいんじゃないかと思う。方法論的行動主義というのは、徹底的行動主義の人が他の心理学の立場を批判するときによく使う言葉で、心理学のデータを行動に限定する点では行動主義だが、行動そのものの予測と制御、あるいは理解を目的とするのではなく行動を通じて観察不能な概念を定義し、その説明に利用する立場を指す (ようは、ほぼ全ての現代心理学ですな)。

 

Skinnerは多作で、時代によって言っていることが結構違う。"About Behaviorism" は後期のSkinnerを知る上で序文と1-2章あたりを読むといいかもしれない。通俗的な理解として見かける「心の存在を否定している」だの「ブラックボックス」だのがいかに的外れかがわかるだろう。ただ、Skinnerはハーバード流の交渉な言い回し (衒学的ともいう) が多いから気合い入れて読まないと挫折する。

 

 

と、上に述べた通り、表題の人は徹底的行動主義が最優先だと思うので、ここまででこのブログはもう読むのをやめても問題はない。しかし、Skinnerが亡くなったのは1990年で、30年以上前である。Skinnerの存命中、または死後も行動主義には様々な展開がある。以下は、プラスアルファでそれらに興味がある人向けだ。 

 

SkinnerのHavardの研究室、通称「ハトラボ」は、その後Herrnsteinが継いだ。Herrnsteinは対応法則の発見者として有名な研究者で、大成した弟子がとても多い。Neurotreeで見たら「え?この人もHerrnsteinの弟子なの?」と驚く。ポストSkinnerの行動主義はHerrnsteinの弟子たちが主に展開している。それについては

 

- Araiba, S. (2019). Current diversification of behaviorism. Perspectives on Behavior Science, 1-19.

- 丹野貴行, & 坂上貴之. (2011). 行動分析学における微視-巨視論争の整理: 強化の原理, 分析レベル, 行動主義への分類. 行動分析学研究, 25(2), 109-126.

 

がよくまとまっているように感じた。また、Herrnstein自身の論考はSkinner 重要論文集 IIで一本訳されている。Skinnerは進化と学習 (系統発生的随伴性と強化随伴性) の研究の住み分けを重視していたわけだが、Herrnsteinはむしろ両者の接続を志向していたのが伺える。同書にはそれに対するSkinnerの反論も載っていて、同門でも一枚岩ではないのがよくわかる (いやはや、師匠からブチキレたコメント論文がくるって、こわいなあ)。

 

Herrnstein以降の行動主義者たちも一枚岩ではない。むしろ、かなり決定的な対立もある。ここからがいわば現代版行動主義で、まだ全体のコンセンサスのないところだと思われる。が、日本ではHayesの機能的文脈主義以外あまり紹介されていない印象がある。この分け方が、本職の人たちからどこまで同意を得られるかは怪しいが、ざっくり分けると次のように分類するとわかりやすいだろう。

 

(1) マクロなスケールの分析の単位と、最適化を重視するBaumの巨視的行動主義 (molar behaviorism)、Rachlinの目的論的行動主義 (teleological behaviorism)

 

Skinnerの重要な貢献として「反応率」という分析の「単位」を発明 (発見?) した、というのがしばしば挙げられる。巨視的な立場というのは、分析の単位をそのような微視的な行動の単位から、より大きい視点の「強化子ー反応率相関」に注目しよう、というものだ。と、これだけ書いても判然としないと思うんだが、丹野と坂上 (2011) に回避学習やVR-VI反応率差を例に巨視と微視での説明の相違が非常にわかりやすく述べられている。

 

Baum本人は今も精力的に論文を書いていて、彼の立場を知るにはBaum (2018)を俺は読んだ。これは巨視的視点のこれまでの経緯の概要を述べている論文だ。当初Baumはいわば巨視的な分析単位を制御変数として捉えていたそうなんだが、最近になればなるほど、行動の意味論・存在論にその正当性を訴えるようになってくる。どういうことかと言うと、「行動」と言うとき、それは必ず時間的な広がりを持つ。ようは、必ず幾ばくか時間がかかるわけだ。つまり、「●●行動」というのは時間の中で活動をいかに配分するか、という点で捉えるべきだということだ。

 

これだけじゃ曖昧なので、Baum (2018)から俺が勝手にデコードして、「愛する」という行動を考えてみる。特定の動作や行為、ましてや筋活動が「愛する」行動に対応するわけではない。だが、一定期間行動を観察してみれば、特定の異性に「愛する」行動を示す有機体と示さない有機体では、個別の活動の配分の仕方が異なってくるはずだ。その特別な配分に、「愛する」行動という地位を与えたいわけだ。逆に、何か特定の動作 (キスだのハグだの、なんでもいい) に「愛する」行動としての定義を与えてしまうのは、Baumからすればカテゴリー錯誤ということになる。なんかキモい例になってしまったのでこの辺でやめる。

 

 

ちなみにBaumはその後マルチスケールな見方を提案したHinelineに同意していて、本人も "molar multiscale view" と改名しているのだが、結局微視的立場に対して攻撃をやめていないので、やはり巨視的分析を重視していきたいんだろうと思う (つーかBaumは多分反応間間隔って従属変数が嫌いなんだろうな)。

 

というわけで、Baumの論文をおすすめに挙げておこう。

Baum, W. M. (2018). Multiscale behavior analysis and molar behaviorism: An overview. Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 110(3), 302-322.

 

Rachlinの目的論的行動主義は、Rachlin (1992) がタイトルからしてもろ "Thereological Behaviorism" なので、それを読めばいいんじゃないかと思う。ようはこれまでの行動主義 (あるいは心理学) は機能・・・つまり作用因に注目してきたが、目的因の視点が欠けている、ということが述べられている。目的因に注目したことの帰結として、行動の最適性という視点を通じてミクロ経済学との接点も見えてくる、という塩梅だ。

 

また、実際に目的論的行動主義の観点から心的概念を分析した論考に石井 (2019) 『目的論的行動主義における心的概念の理解』がある。

 

 

(2) 内的事象が因果的に行動に影響することを認め、行動主義と整合的な形で取り入れようとする立場としてStaddonの理論的行動主義 (theoretical behaviorism)、Killeenの創発的行動主義 (emergent behaviorism)

 

StaddonやKilleenはかなり特異な立場に見えるかもしれない。この二人は明示的に「内的変数は行動の原因になりうる」という立場をとる (Killeen, 1984; Staddon, 2014)。

 

Staddonの立場は日本語で読める文献を俺は知らない。なので、本丸を攻めるしかない。Staddonの "New Behaviorism" と "Handbook of Behaviorism" に収録されているStaddon (1999) がいいんじゃないかと思う。

 

Staddonの著書 "New Behaviorism" はなかなか物議を醸して、第一版が出たときにはBaumに "accidental behaviorism" などとこき下ろされている (Baum, 2004)。主な内容としては、Staddonの言う「内的状態」が正体不明の概念だって話なんだが、Staddonもそれに対し「不当すぎる評価にさすがにキレそうだけど頑張って丁寧に返すわ (意欲)」と相当ブチ切れた返答をしている (Staddon, 2004)。このやり取りは、Baumの口の悪さに目をつむれば立場の違いを知る上で面白い。ちなみに、Malone (2004) は「internal stateとか言ってるけど、ようは行動履歴のことだよ〜」と擁護している。これも参考になるかもしれない。

 

また、第二版の "New Behaviorism" では相当に加筆がなされた。内的状態のダイナミクスの例として記憶の漏れ積分モデルなんかが紹介されている (← 最初の方はむずかしいので、そう言われたら、ああそういう話か〜、となる)。ちなみに、第3版が今年の5月末に出て、再び大幅な加筆修正がなされているらしいので、俺は楽しみに待っている。

 

Staddonの内的状態は認知心理学の認知概念と何が違うのか、という話なんだが、Staddonの内的状態ってのは、行動履歴が次の行動にどう影響するかをモデルとして表現することだ。行動履歴は観測可能である。で、それを関数で加工することで次の行動の遷移を予測するわけだが、必ずしもその関数を動物が表象している必要はない。結果的に、それを実現できる機序になっていればいいわけだ。その辺りに違いが見出されそうだ。実際、Staddon (2014) は、表象主義的な立場を取らないと述べている。従って、いわゆるS-O-R心理学には陥らないというのがStaddonの方針のようだ。ただし、Staddonの言うダイナミクスは、当然それを生み出す機序という問いも生まれる。そこにで神経生理学との接続がある (Staddon, & Bueno, 1991)。

 

これは余談なんだが、認知の側でも、情報処理アプローチや表象主義からの脱却を目指したラディカルな身体性重視の立場があるわけだが、Staddonの理論的行動主義との親和性を論じた渋い論文としてKeijzer (2005)がある。

 

Killeenは多くを語ってるわけではないが、Killeen (1984) を見る限りは、ようは内的変数を数理モデルの中のパラメータとして表現し、それを用いた予測、及び変数の制御の可能性を示せる限り、内的変数の導入は有用であるということのようだ。あまり哲学的な議論はないんだが、確かに、Killeenが関わっていた計時理論の研究領域では、オペラント研究の中では珍しく、伝統的に「内部のペースメーカーがポアソン過程で・・・」みたいな議論がたくさん出てくる。元論文を読むのは大変だと思うので、雰囲気を知りたい人は藤巻他 (2015) の総説論文を読むといいだろう。俺も地味に共著に入っている (隙あらば宣伝)。

 

 

(3) 行動の単位について、複数のスケールから得られる描像を重視するHineline、Shimpのマルチスケールな視点 (multiscale view)

さて、(1) で微視-巨視という行動分析学の中で伝統的な対立軸が出てきたという話をした。両者の折衷案として提案されているのがマルチスケールな見方になる (Hineline, 2001; Shimp, 2013; 2020)。Shimp (2013)は微視-巨視の立場それぞれも解説してあるので、勧められる。

 

が、上述の通りBaumも最新の論文では自身がマルチスケールな見方が大事なことを認めると言っている (molar multiscaleとか言ったりする) なので、やはりBaum (2018) を押さえておけばいいのでは?という気もする。

 

 

(4) Hayesの機能的文脈主義 (functional contextualism)

Hayesの論文は、俺はBiglan, and Hayes (1996)しか読んだことない。なので、俺は機能的文脈主義はあまり押さえていない。そもそも、この辺りは応用行動分析家で情報を発信している識者がたくさんいるし、俺があえて語る意味もないだろう。機能的文脈主義でググれば、日本語の資料も出てくる。つうか、もう書くのに疲れちった。

 

 

・・・と非常に長々と書いてしまったわけなんだが、繰り返しになるが結局は現代の行動主義で、まず知っておいたほうがいいのは徹底的行動主義だ。なので、丹野 (2019) から読んでおくと心が折れずに済むかと思われる。以上だ。長く書いたわりには、丹野さんの太鼓持ちをして終わってしまった・・・。これは、そんなブログである。そのあとは、自身の興味合わせて学ぶと何かしらの発見があるだろう。

 

最後にこれは完全に脱線なんだが、認知科学の祖の一人G.A. Miller (マジカルナンバーの論文の人) は、著書『プランと行動の構造―心理サイバネティクス序説』で自身の立場を「主観的行動主義」と呼んでいる。上でも挙げたStevens-Boring型の操作主義は、典型的な認知心理学がコミットしている立場なんだが、Millerはそれも批判していて、それはそれで面白い (これもそのうち書こうかな)。で、MillerはSkinnerの批判もしてるんだが、その主な批判対象は反射弧概念である。確かにSkinnerは当初反射弧を説明に用いていたんだが、その後捨て去ってしまう。博士論文あたりまでと聞いたことがあるが、実際例えばSkinner (1931) では反射の概念を再定式化しようと試みていたりする。Skinnerが徹底的行動主義の立場を明示したのはSkinner (1945) の論文 (上でも紹介した「操作的分析」論文) なので、この本の出版年の1960年から見ても全然徹底的行動主義批判になってない。なっていないんだが、Miller (2003) はその後行動主義を過去のものと流してしまっていて・・・お前が戦ってた相手はそんな簡単に死んだことにしてもいいような安いもんだったのかよ〜と、ちょっと悲しくなってしまう。ちなみに、『認知革命』の著者ハワード・ガードナーも同じ誤りを犯してる (SkinnerをS-R心理学者扱いしている)。逆に、ドナルド・ヘッブの『心について』を見ると、そういう「どう考えてもスキナー読んでないでしょ」的な行動主義批判はなくて、ヘッブさんすげ〜っとなったりする。つうか、ヘッブは哲学、心理学、生理学多岐にわたって博識すぎて引く。

 

せっかくなので徹底的に脱線すると、認知革命は言うほど「革命」のような特定の出来事ではないんじゃないのかってのは、サトウ・高砂 (2003) の心理学史の教科書でも載っている議論ではあるが、俺の専門の比較認知科学でも1930年代の比較認知的研究をまとめたレビューとして、Dewsbury (2000) なんてのがある。これを見ると、現代でもやられているような比較認知のテーマが1930年代に既に現れているのがわかってなかなか面白い。

 

引用文献

Araiba, S. (2019). Current diversification of behaviorism. Perspectives on Behavior Science, 1-19.

Baum, W. M. (2004). The accidental behaviorist: A review of The new behaviorism by John Staddon. Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 82(1), 73-78.

Baum, W. M. (2018). Multiscale behavior analysis and molar behaviorism: An overview. Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 110(3), 302-322.

Biglan, A., & Hayes, S. C. (1996). Should the behavioral sciences become more pragmatic? The case for functional contextualism in research on human behavior. Applied and Preventive Psychology, 5(1), 47-57.

Dewsbury, D. A. (2000). Comparative cognition in the 1930s. Psychonomic Bulletin & Review, 7(2), 267-283.

Hineline, P. N. (2001). Beyond the molar—molecular distinction: We need multiscaled analyses. Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 75(3), 342-347.

藤巻峻, 新保彰大, 松井大, 時暁聴, & 神前裕. (2015). 条件づけにおける時間 II―オペラント計時行動, および時間学習の神経機構―. 基礎心理学研究, 34(1), 78-90.

Keijzer, F. (2005). Theoretical behaviorism meets embodied cognition: Two theoretical analyses of behavior. Philosophical psychology, 18(1), 123-143.

Killeen, P. R. (1984). Emergent behaviorism. Behaviorism, 25-40.

Malone, J. C. (2004). Modern molar behaviorism and theoretical behaviorism: Religion and science. Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 82(1), 95-102.

Miller, G. A. (2003). The cognitive revolution: a historical perspective. Trends in cognitive sciences, 7(3), 141-144.

Rachlin, H. (1992). Teleological behaviorism. American Psychologist, 47(11), 1371.

サトウ・高砂 (2003) 流れを読む心理学史―世界と日本の心理学

Shimp, C. P. (2013). Toward the unification of molecular and molar analyses. The Behavior Analyst, 36(2), 295-312.

Skinner, B. F. (1931). The concept of the reflex in the description of behavior. The Journal of General Psychology, 5(4), 427-458.

Skinner, B. F. (1974). About Behaviorism. New York: Vintage.

Skinner, B. F. (1989). Recent issues in the analysis of behavior Columbus. OH: Merrill.

Staddon, J. (2004). The Old Behaviorism: A Response To Baum’s Review Of The New Behaviorism. Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 82(1), 79.

Staddon, J. E. R. (1999). Theoretical behaviorism. In Handbook of behaviorism (pp. 217-241). Academic Press.

Staddon, J. (2014). The new behaviorism. Psychology Press.

Staddon, J. E. R., & Bueno, J. L. O. (1991). On models, behaviorism and the neural basis of learning. Psychological Science, 2(1), 3-11.

丹野貴行. (2019). 徹底的行動主義について (特集 坂上貴之教授 退職記念号). 哲學= Philosophy, 142, 9-42.

丹野貴行, & 坂上貴之. (2011). 行動分析学における微視-巨視論争の整理: 強化の原理, 分析レベル, 行動主義への分類. 行動分析学研究, 25(2), 109-126.