先日、金子書房さんが運営しているnoteに寄稿した。現在、「「心」とは何か」という特集をやっていて、俺のはその記事の1つとなっている。
特集「「心」とは何か」の第2回は、比較心理学における心とは何かを松井大先生に解説いただきました。
— 金子書房 (@kanekoshobo) 2025年1月17日
【note】比較心理学における「心」とは何か? #心とは何か|「こころ」のための専門メディア 金子書房https://t.co/9GMn4ldsXc
今回は、それにまつわる雑記でも書いてみようと思う。
現在オープンになっているのは、順に学習心理学、比較心理学、池田さんたちの「深層学習心理学」、発達心理学と状況論、染谷さんの「アニマシー心理学」の5つだ。最初2つの学習心理学・比較心理学は、全員合わせても日本心理学会の会員の1%にも満たないだろう。学習心理学が成立したのがジョン・ワトソンの行動主義宣言(1913年)、比較心理学の成立をジョージ・ロマネスの『動物の知性』(1888年)あたりだとすれば、前者2つは現存する心理学の中では、まあまあ古い方だといってもよい。しかし、以前取り上げたように、日本の心理学で最大規模である日本心理学会では、800件ほどのポスター発表があるが、学習心理学の発表は5件程度、比較心理学に至っては毎年2、3件程度あればよい方だ。ようは、ジャイアントパンダとヤンバルクイナみたいな希少種の組み合わせから特集が始まっている。「深層学習心理学」と「アニマシー心理学」に至っては、当人たちが旗揚げをしている段階だ(個人的には、どちらも応援している)。そう考えると、この特集はえらく攻めたラインナップになっている。
俺にこの話がきたとき、比較心理学の他に2つ分野の候補を挙げてもらって、いずれかを担当して書いてほしいと打診があった。結局選ばなかった分野がなんなのかは、ここでは秘密にしておこう。俺は10秒くらい考えて、「やるなら比較心理学だな」と思ったのだった。理由は2つ。1つは自明なもので、俺の専門への適合性が一番高いのが比較心理学だったから。もう1つは、「この手の特集で、比較心理学が挙がるのは “おいしい”」のではないかという下心だ。
自分の比較心理学が専門なのでそれについて書くというのは、至極当たり前のことだろう。ただ、俺は講義では、だいたい学習心理学・行動分析学に、ちょっとだけ神経科学や進化の話をすることが多い。比較心理学だけで講義してもよいのだが、専門じゃない学部生が学ぶなら、学習と行動について基本を知っておいた方が、後々役に立つことが多い。俺の昔のボスは、「行動分析学ほど退屈な学問はないが、それほど役に立つ学問もない」といっていた。俺は「前半は同意しないが、後半はわかる」と返した記憶がある。神経科学と進化についての紹介は、他の教員とのバランス次第で抜き差しすることが多い。だけど、note記事なら、そういう教育的な効果を度外視にして書いてもよいだろう。それに、打診があった残り2つの分野は、「俺じゃなかったらこの人にいくのかな」という人が何人も思いつくし、その人たちが書いた方がよいものになると確信していたというのもある。
もう1つの理由の方は、俺が「しめしめ」と思ったということだ。noteの方にも書いたが、比較心理学というのは歴史は長いくせにマイナーな分野だ。悲しいことに、同業者に「専門は比較心理学です」といっても「えーっと、なんですか、それ」といわれることも珍しくない。なんなら、そういう反応の方が多い。研究者の希少性を踏まえれば、仕方のないことだ。金子書房さんのnoteは、けっこう人の目に留まる。なので、比較心理学がそこに載ることには、一定の意味もあるだろう。
ただ、マイナーだの希少だの言ってはみたものの、動物心理学会は500名前後の学会で、この手の学会としては中規模くらいの大きさを何十年も維持し続けている。しかも実は、日本心理学会と応用心理学会に次いで、3番目に古い。本当のところは、ヤンバルクイナというほどレアではないということだ。そのわりに、よその学会では見ることは少ない。いろんな人に「日本心理学会にいかないのはどうしてなのか」と聞いてみたところ「発表してもポスターに人がきてくれない」「いっても自分の分野と関係がない発表が多い」「結局、発表を聞いてくれるのは動物心理関係者しかいない」といった声があがってくる。まぁ、俺も日本心理学会に参加するようになったのは博士課程の終わりくらいからだから、本当は人のことは言えないんだが、「そう言わずにさぁ」と言ってみることが多い。
さて、note記事では、俺は比較心理学における「心」は、時代ごとの問題意識とともに変遷があったという見方を提示した。これはだいぶ穏当な口ぶりに聞こえてしまったかもしれない。言ってしまえば「お利口さん」的な結論ですらある。もちろん、間違っているとは思わないし、比較心理学を紹介する上でこのような切り口になるのは自然なことだ。とにかく、この150年がそうであったということを述べるに留めておこう。
だが、注意してほしいのは、この結論は「そうであってきたのだし、これからもそうであるべきだ」あるいは「そうでしかありえない」ということを含意するものではない。このあたりは、比較心理学者の中でも意見が割れるところだと思う。去年ドイツで開催された「鳥類認知神経科学研究会」でも面白い議論があった。ラッセル・グレイというこの業界では有名な研究者が共同で出した「動物の認知だ認知だってみんないうが、いろんな種の動物行動をまるっとパッケージ化する "one cognition" なんて形で、動物の認知を概念化できるなんて考えない方がいいんじゃないのか?」という論文に対し、俺の元ボスがオヌール・グントゥルクンは「自然にそんなに自由度があるとは俺は思わない。ラッセル、よく聞け。 there is one cognitionだ!」と言い返していた。これも、1つの「心観」のぶつかり合いだろう。
記事で触れなかったが、比較認知科学(comparative cognitive science)という言葉もある。この呼び名は1990年代に普及し*1、自身のことを比較認知科学者と呼ぶ人も多い。俺もたまにいう。認知研究が「心」の研究の唯一の道なら、この分野はその考えで埋め尽くされることになる。確かに、実験心理学一般が認知の概念に溢れるようになるのに追従するように、比較心理学も、そうなりつつある。でも、そうやって使う概念をコロコロ変えるのは、今に始まったことでもない。場合によっては、将来的には認知的概念のほとんどは過去の遺物として、歴史的な関心を呼ぶだけになることだってありえる。エドワード・リードという生態心理学者は、心理学の歴史を「いかがわしい革命の繰り返し」なんだと酷評した。この人は、本人の鋭い知性と同じくらいの切れ味で、悪口も書く。
本当にリードの言う通りなのかはここでは不問にするが、比較心理学をやってるからといって、あまり日和見に走るのもよくないのだと、この5年ぐらいで思うようになってきた。俺個人としては、染谷さんの「アニマシー心理学」的な見方が共感できるが、それが功を奏するかわかるのはずっと後のことだろう。もしかしたら、生きているうちにはわからない可能性だってある。もっとも、実際には目の前の研究活動という微視的随伴性で制御されている面も大きいので、それで一向に構わない。
最後に、今回の記事を受けるにあたって「動物心理学」ではなく「比較心理学」にしておいたことには、隠れた理由がある。まあ、これは正直、どっちをタイトルにしてもまったく同じ内容で公開していたはずなので、誰に伝える必要のあるようなことではないんだが、微妙に心理学史的な話や動物心理学会の現状の話も関係するし、残しておこう。でも、すげー細かい話だから覚悟してくれ。
比較心理学には「動物心理学」(animal psychology)という名前もあって、ほとんど同じ意味で用いられる。実際、日本の学会は「動物心理学会」という名前だ。英語圏では “comparative psychology” という言葉が19世紀のはじめには定着していたが*2、ドイツ語では “Tierpsychologie” という「動物心理学」に対応する言葉がよく使われていた (ただし、 “comparative psychology” に対応する “vergleichende Psychologie” も用いられていた)。
動物心理学だと対象は「動物」である。なので、哺乳類だけじゃなくて、脊椎動物、あるいはそれを超えてあらゆる動物が対象になる*3。タコ、ゴキブリ、プラナリア、クラゲ、いずれも比較心理学の対象になりえるし、実際たくさん論文がある。noteでも登場したロマネスも、クラゲやウニで一冊本を書いている。この流れは細々としてものではあるが、19世紀から今まで、途絶えていない。ただし実際には、動物だけでなく、単細胞生物、菌類、植物も行動し、心理学的研究の対象になる。このことも、比較心理学の誕生当時から現在に至るまでの(さらに細々としてものではあるが)歴史的な事実である。なので、「動物心理学」という呼び名は、対象を狭めてしまうおそれがある。
俺自身は、そのことをわりと重く見て、動物心理学より、比較心理学の方を好んで使っている。しかし、この分野は常に「比較」を研究手法として用いるわけでもないので、名が必ずしも体を表していない。「比較」自体が大事なんじゃなくて、その言葉に込められているのは「進化」なんだという研究者もいる。これはこれでよさそうだが、2つ問題が起きる。1つは「じゃあ進化心理学でいいじゃん」となってしまうことだが、進化心理学だとTooby & Cosmidesのそれと混同されると困る。比較心理学研究の大多数は、Tooby & Cosmidesの進化心理学とは、方法論的にも、科学哲学的にも、歴史的にも、ほとんど関係がない。もう1つは、比較心理学者が、必ずしも進化を研究しているかといえば、別にそうでもないということだ*4。というか、本当に進化研究をやるなら、学会発表の半数の対象種が、げっ歯類になるはずがない。比較心理学的な進化研究をする人もいるし、増えてほしいと思うが*5、動物心理学会の中心になるほどの代表性は、現状ないということだ。
俺は、そういうミスリーディングさのない呼び方としては、「生物心理学」(biopsychology)が本当はピッタリなんだろうなと思っている。“psyche” が「魂」だけでなく「呼吸をすること」の意味もあり、生命活動を指しているのなら、“bio” と “psyche” をくっつけるのは同語反復じゃないか。そう言いがかりをつけようと思えばつけられてしまうのだが、そこには目を瞑っておこう。実際、生物心理学者という看板を出している人もいる。俺が昔在籍していたルール大学ボーフムのオヌール研究室も、 "biopsychology lab" だった。という感じで、俺にとっては親近感のある名前でもある。でも、無闇矢鱈に聞き慣れない名前で自己紹介して「それってどんな分野なんですか?」と相手に聞かせてしまうのも申し訳ない。なので、若造はなるべく聞き覚えのある分野名で名乗るのである.......(しかし、上述の通り、「その甲斐虚しく」というやつだ)。